公園の案内板より

原始時代よりこの池の湧水は絶えることを知らないという。原始人は水を求め集まる動物や鳥を追ってここに至り、この地の周囲に住み、宿の山遺跡・梨木遺跡(縄文時代)、向島遺跡(弥生時代)を残している。

中世、この地に菊池氏の流れをくむ須屋一族が神社仏閣等を立てた。妙泉寺はこの湧水にちなみこの水、この絶えることのないことを願って建立されたものと推測される。

そして、この池(上の池)に浮かぶ岩石を縞に見立て「水の神であり、智慧、福徳を増益し、現世に寿命を延ばし、天災地変を除く」とされる弁財天をまつり、弁天石として信仰した。

天正13年(1585年)須屋一族は合志氏に味方し薩摩の島津との戦いに敗れて途絶え、妙泉寺も廃寺となった。江戸時代後期、竹迫手永庄屋の協力を得て、ともが築かれ、下の池ができた。

以来、今日まで12ヘクタールの水田を潤している。昭和53年3月、近隣公園の造成にあたり清い水がその清さを守り、且つ、枯れることなく湧水することを願い、妙泉寺公園と名付けられた。