鉄炮塚

ここより東南約30メートル付近に存在したこの塚は平成10年、県の発掘調査により南北朝時代からの陣屋等の後と推定されている。新地口伝によれば、古来当地は地方豪族による争奪が、天正13年(1585年)には薩摩島津勢によって須屋一族が滅亡した。江戸時代は細川藩は当地を鉄砲の射撃訓練に使用し、以来この塚は人々から鉄炮塚と呼ばれるようになった。平成11年国の道路整備事業によって、この一切が口伝とともに消滅するのを憂い、当地の歴史を後世につたえるべく、ここに記念碑を建立し継承しようとするものである(記念碑の裏面の文章より)